この記事でいくつか思うことがあったので、これをきっかけに、
<不定期に>といいながら2年以上中断していた木馬座関係の落ち穂拾いを
カテゴリーも改めて再開することにした…
■ 老人と王さま ■
ぼくが読んだ記事にはライオン王にメガネを譲る老人のイラストが5タイプほど出ており、
それによれば時代をさかのぼるほど挿絵の老人は裸に近くなっているようだ。
そういえば、ぼくたちが作った老人の造形は下の絵のように、
ちょうど中間でネグリジェタイプをしていた…
■ サクマ隊 ■
上の絵に関連してもう一つ…
劇団木馬座となって初期、『クマのプーさん』『ライオンのめがね』前後で
動物の製作に苦戦している時だったと思うが、藤城さんのスタッフが作った
クマのぬいぐるみをメインキャラにした佐久間製菓の宣伝キャンペーンがあった…
当時の営業スタッフがどういうコネからかそのクマを
製作部に持ち込んだのだった…
もちろんぼくたちは舐めるようにぬいぐるみをチェックした…
すると造形はもちろん、使われているボアの品質も格段に良く、
特に手先の表現が過去の動物たちより精緻で肉球まで丁寧に
作り込まれているのには感心すると同時にとてもかなわないと脱力してしまった
(当時はどの動物もライオン王の手のように指が三つに分かれ、
役者が身支度のとき手が出せるよう肉球を模した大きな丸いふたをつけていた)
現物を見た後、そのクマくんがウインクするTVCMも放映されていた…
それはなんだかぼくたちに向かって「やーい…ヘタクソ」といっているようにも
思えたけれど、ぼくたちはともかく目先の公演に向かって形にするしかなかった…
『ライオンのめがね』についてはもう少し続く…
ぼくが木馬座の研究生になった昭和46年…
スタジオで稽古中、藤城さんがベージュの
トレンチコートを着た細身の男性と入ってきたのです。
それが参議院議員選挙に立候補した東郷健だったのです。
顔を見た印象は若いころの小沢征爾に似ている
と思った記憶があります。
ぼくはまったく知らなかったのですがスタッフは
「オカマのトーゴーケンだ…」といいあっていました。
その時、藤城さんがそれまで見たことのない
恥ずかしそうな…ちょっと照れたような表情で
「(東郷健を)よろしく…」とおっしゃったのです…
印象的な思い出です。
吟行の二日目は東京湾唯一の自然島という猿島で散策の予定だった…
島名の由来は古く…日蓮上人が房総から鎌倉へ渡る途中で嵐に遭った時、
どこからともなく一匹の白猿が現れ、舳先に立って島へ案内したという
言い伝えによるのだという…
グレーのグラデーションの地味な船体が紅白幕で覆われた船体があった…
記念艦として残されている旧海軍の<三笠>だ…
日本海海戦の旗艦だった三笠は船体を地面に埋め、戦後は
ダンスホールや水族館として利用されたこともあったようだ…
一行は船上での演奏会が始まる時刻に合わせて猿島散策から戻った…
でも、ぼくは少しくたびれていたこともあって乗船せず、
少し離れた埠頭で船体をスケッチしていたのだった…
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