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武州中山道を歩いて 1 ことの始まり 日本橋


■ ことのはじまり ■

 

四国へんろ道ひとり旅四国へんろ道ひとり旅
(2011/10)
菅 卓二

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 知人からいただいた1冊の本から気まぐれが始まった…

 70
代後半に2回の札所巡りを完遂された記録だというこの本を読んで
四国遍路はありえないが、ひとり旅は悪くない…
住んでいる桶川宿を起点に中山道スケッチ旅をやってみようかしら…
と思ったのだった。

 とりあえず金石、草木、水など昔から変わらないものに
目を向けようと漠然と思いながらもせっかちなもので、
思いついてすぐの2012年5月5日…いきなり高崎線上野経由で東京駅に
向かった…
 

                  ■  日本橋 ■

 南側橋詰の一段下がったところから改めて橋を眺める…
スケッチを初めてすぐに思った。絵にならない。

中央の一番高い街灯は上半分が首都高速に隠れている…
これからどの場所を描くことにしても絵にならないものははずし、
必要なものは加え、自分の描きたい絵にしようとその場で決めた。
写真じゃないんだから…  


 nihonbasi023_convert_20120522102715.jpg

よくみると街灯はディズニー映画『美女と野獣』に登場する蝋燭の
ルミエールそっくりに見えてしかたがない…でも設計者も少しは
擬人化を意識したのかな?などと思う…

 橋の街灯の装飾として獅子と麒麟(ぼくには竜にしか見えない)が
南北に顔を向けて旅人を見守っているように見える。

 日本橋がかかる中央通りを中山道、奥州街道となる北に向かって
ぼちぼち歩きだすことにする…
向こうに…といっても意外と近くに神田駅の高架が見える…

 

200メートルほど行ったところに三越本店があった。
開店を待つ人々の両側に有名な2頭の
ライオンが座っている。
身近で見るのは初めてだ。

室町3丁目交差点…このあたりに小学生のころ林商会という月賦で
カメラやラジオを販売する店があった…今ならじゃぱねっとか…
小学校4年生のころ生意気にも親父に無理を言ってそこで
トランジスタラジオを買ってもらった記憶がよみがえった。

その先は今川橋交差点…突然今川焼と地名が関係あるのかな?と思った。
(帰って調べてみたら本当にこの近くの店が発祥らしい


 神田駅北口はちょっと特別な場所なのだが…それは次の絵で…

                       戻ってから調べたメモは<続きを読む> に…

 

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武州中山道を歩いて 2 神田駅北口

  ■ 神田駅北口 ■

 神田駅でちょっと中山道から外れる…二つ確認したいことがあったのだ。

 まずは北口から50メートルぐらい行った角に<小鍛冶>という喫茶店があるかどうか…

 弘田三枝子のコマーシャルでインスタントコーヒーが普及する1962年より少し前…
そして西田佐知子のコーヒールンバが大ヒットするよりも少し前のこと
ぼくが中学生になったばかりのころ、親父に初めて連れて行ってもらった喫茶店だった。
 琥珀色…というには黒すぎる濃褐色のそれにミルクと砂糖を混ぜて一口…
濃厚でそれまで飲んだことのない味…大人の味と思ったかどうか…
現在まで数えきれないくらい飲んでいるどの味とも違う格別なものだった…

 さて…その場所にはドトールがあった。
半世紀以上たっているのだからなくても当然だろうと思っていた…
愛用のコーヒーチェーン店だったことがちょっとうれしい…
でも、入っているビルの名前が小鍛冶ビル…で納得。

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             ※ビルの名前が「治」となっているのは「冶」の間違い…先入観だった

 もう一つは当時親父がやっていた会社オーナカ工業の事務所跡探しだ。
記憶では小学校の近くで狭い路地を挟んで斜めに2部屋を借りていたと思い、
探しててみるがそれらしい建物は残っていない。これも当然か…
でも細い路地はそのままだし、なによりも小学校はちゃんとあった…
名前は千代田小学校…区の名前がついているくらいだから古いに違いない。
建物はすごくくモダンで、記憶のものとはだいぶ違う…
調べてみたら都会に縮図があった→<続きを読む>へ

だいぶ寄り道をしてしまったところで 本来の道へ戻った…
しばらく行くと山手線などの高架下をくぐる…


この先にちょっと宿題があった…それは神田明神…

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武州中山道を歩いて 3 神田明神・本郷追分

  ■ 神田明神 ■

神田郵便局を右に曲がってJRの高架をくぐり昌平橋を渡る…
神田明神下交差点を左折するとそこは本郷通りの昌平坂…
本郷通りに入り左右が千代田区と文京区の境になっている…
明らかに上り坂になっており、すぐて右側に神田明神の大きな鳥居があった。
傍らの石碑と鳥居の額には「神田神社」とある
 
 神田という地名は全国に多いがが、さっき通ってきた神田駅界隈には
ごくせまい地域に神田がつく地名がジグゾーパズルのように入り組んで
妙にたくさんあることが昔から気になっていた…
神田鍛冶町、神田多町、神田小川町、神田神保町…などなど
神田がつく町名が20以上もあるのだ
住居表示改正が進む中でどうしてこんな屋上屋を重ねるような
地名(町名)が手つかずなのか…

 鳥居をくぐるとそこから先の本殿へは更に上り坂になっている。要するに
神殿はこのあたりで一番高い場所にあるわけだ。
江戸時代の旅人はきっとここで旅の無事を祈ってから出発したのだろう…と思った。

銭形平次の住居が神田明神下というのも納得できる。
神社の周りは全部下に違いない。立派な鳥居とその奥に見える隨神門を一枚スケッチする。

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 鳥居の左手には天野屋という有名な甘酒屋があり、江戸時代から続くというだけに
それなりの風情は感じられる…でも、へそ曲がりなので絵からは外した…

 さて、神田明神の高台から改めて秋葉原、神田方向を見渡して考えた…
地名に神田がたくさん残っているは神田明神とのつながりが関係しているのか…
それにしては肝心の神田明神の住所が外神田二丁目というのでは
この仮説に説得力がないか? 宿題である…
 

 ■ 本郷追分 (一里塚 №1) ■

 神田明神から湯島聖堂前交差点…左へ行けば聖橋と表示がある。
聖橋の先、もう一つ新宿寄りの橋はお茶の水橋…そこはお茶ノ水駅で
そのまま路を下れば駿河台下から古本屋街…
その方面は中高生だった6年間に思い出は多い…
しかしその間に御茶ノ水橋を渡って外堀(神田川)を越えたことは
数えるほどしかなかった…

文京区に入って歩道が歩きづらい…小石がいっぱい舗装面に出ていて
雷おこしみたいなのだ。
右側は東大構内が続く…左側は下り坂が時々出て来る。やはり昔の街道は
高く平らなところをできるだけ選んでつくられていることがわかる…

本郷弥生町交差点に到着。50メートルほど先が本郷追分になっていて、
直進すれば日光御成道、左の道が中山道になる。

このあたりが日本橋から最初の一里塚になるらしい…
江戸時代に大店だったという酒屋の壁に一里塚の説明パネルがあった。 

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 本郷追分から日光御成道へ進むのも大変興味があるのだが、
今回の趣旨からして左へ曲がり中山道を進むことにする…

 道としては中山道の方が御成道(本郷通り)よりだいぶ狭く
風景も地味になった…



 そこで変わったお地蔵さんがあった…

武州中山道を歩いて 4 旧白山通り⇒白山通り

本郷追分を左折、旧中山道になる旧白山通りへ入った…


ここで道幅が明らかに狭くなった…
狭いというより、どこにでもあるような平凡な風景が続く…
中山道の進行方向の住居表示は左側が白山、右側は向丘…

 途中右手にあった大圓寺境内に入る…
通称ほうろく地蔵という八百屋お七ゆかりの地蔵と対面…
頭に4枚のほうろくを乗せているのがちょっとユーモラス…
 
その前には何百枚ものほうろくが積まれている…
頭に乗せるもの、前に並べるもの、積み上げられるもの…
ほうろくに何か違いがあるのだろうか?

 大量の千羽鶴がある…どれも虹色にきれいで整然と連なっており
ぼくの知っている素朴なそれとはだいぶ違っている…
めずらしいので、スケッチブックを広げる…

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 後日ネット通販でそっくりな千羽鶴セットを見つけた…
約二万円弱で手に入るのだった…
様々な祈りや願いを込めて奉納するであろう千羽鶴が
委託でいいのか…?  いいんだろうなぁ…
今やお守りも通販がある時代なのだから…

左隣に庚申塔があり、これは元は本郷追分の一里塚にあったものらしい…
デザイン的になかなか面白い…
中央に腕が六本の人物…
これは青面[ショウメン]金剛といい江戸時代の庚申塔の
メインキャラクターだということを後で知った。
この先たくさん見ることになる庚申塔の第一号だった。

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境内の茂みには松野自得の句碑があった…

<花の匂いは母の匂いよ甘えたし>

ちょうど母の日も近い時期だったこともあってか心に残った…

東洋大のお膝元…白山上交差点のCOCO壱番屋で昼食をとる。
レジ横に中山道に沿った地図がたくさん吊るしてあったのはたぶん
けっこう道を尋ねられる機会が多いためだろうと思った。

千石駅前交差点で広い白山通りに合流…
右に福音館書店の本社社屋を見つけた…5
階建の立派なビルだ…

 福音館は石川県金沢の書店をルーツに出発し、1952年東京進出…
旧社屋は水道橋駅近く、白山通りから一本入った場所、にあった。
そして1984年文京区に本社社屋を建て、移転したのだった…

 福音館の社史は家に戻ってから確認した…改めて思ったことがある…
昭和30年代…ぼくは通学経路の一つとして福音館書店の近くを
頻繁に通っていた…でも何の思い出もない。
当時福音館書店に全く関心がなかったからだ。
その証拠に後年図書館員になってから金沢に出張した時には
小売書店として残っている福音館を一生懸命探したのだから…

 目の前にある対象をどう感じるかは本人のその時の意識次第なのだ。
1冊の本、人との出会いもまた素敵なタイミング…

 もうひとつわかったこと
福音館の旧社屋と新社屋…千代田区三崎町と文京区本駒込は
同じ白山通りを介して意外と近い場所だった。

福音館に深入りしすぎたが、そこから少し進み巣鴨駅が見えてきた…
様子が変わってきた…人の数が違う…



とげぬき地蔵が近いのだった…   ⇒ 5 へ続く…

武州中山道を歩いて 5  地蔵通商店街から平尾宿

■ 巣鴨地蔵通商店街 ■

巣鴨駅を下に見ながら白山通りを渡ると左手に地蔵通商店街の
看板がかかる一方通行の道がある…
これが旧中山道なのだ…
通称とげぬき地蔵で有名な高岩寺の参道にもなっている…
それにしても旅の出発点だった日本橋の中央通りよりはるかにスゴイ人出だ。

 今回の旅では極力人物は描かないつもりでいる。
でも、ここで一度だけ思いっきり混雑を描いておこうと決め、
信号待ちの様子をスケッチした…

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子どもの頃、ぼくの母方の祖母がこのとげぬき地蔵のファンで
時々巣鴨に出かけて行ったのを思い出した…
当時もこんなに繁盛していたのだろうか

原色があふれた帽子、洋品店も多く不思議なお店がいっぱいある…
「日本一の赤パンツ」の大看板もあった…何が日本一なのだろう?

場違いな雰囲気を感じながら流れに逆らうように歩いていくと…
都電荒川線庚申塚駅を渡った所で庚申塚商栄会となる。
一気に人影が少なくなった…見慣れた旧中山道である。…
その先は滝野川銀座となり、やがて踏切が見えてきた…
JR埼京線板橋駅だ。

 ■ 平尾宿 (一里塚 №2) ■

 このあたりから三宿ある板橋宿の一番日本橋寄りの平尾宿が始まる…
日本橋から二番目の一里塚も踏切手前らしいのだが、全く形跡がない…
踏切を渡り歩いて行くと右手に見える首都高速5号線がだんだん近づいてきた
そしてとうとう高速の高架をくぐったところに<板橋宿>の
大きな表示が見える

 その手前を右に入ったところにある東光寺に
平尾宿一里塚から移設と伝えられる地蔵があった
地蔵といってもでっぷりした体型の坐像だ
ぼくの認識ではとても地蔵には見えない
そしてどことなく誰かに似ている…

実態のない平尾一里塚ゆかりということでスケッチする

  
 toukoujizazou033_convert_20120615161755.jpg 


今日の予定では少し先にある<いたばし観光センター>で
板橋宿の資料だけでももらって帰るつもりでいる…

心配なのは途中<巣鴨地域文化創造館>という
大層な名前の施設が休日なのに休館だったこと
公益法人としま未来文化財団さんに未来はあるのだろうか…

         いたばし観光センターは 開いていた…

数人のボランティアが迎えてくれ、資料をもらいつつちょっと立ち話…
東大構内の学食が安くて狙い目なのだそうだが
今更引き返せない…次があれば…



 
  次は中宿から上宿へと向かう…   ⇒6へ続く

 

武州中山道を歩いて 6 板橋宿から志村一里塚

■ 板橋宿から ■

<板橋宿>の表示をくぐってすぐ
りそな銀行のあたりが中山道と川越街道の
分岐である 平尾追分なのだという…
旧川越街道はこのあたりから高島平方向に
続いていたらしい…今は面影はない
  
 かなり賑やかな商店街を30分ほど歩いくと
区名の由来になった石神井川にかかる板橋に到着
木造りっぽいコンクリート製の橋だ…

 この旅で密かに狙っていることがあった…

 街道が横切る川の状態を知るため、
昔からのちょっとした趣味、
クチボソ釣りを試みることだ… 

 街道歩きを始めて最初に出会った川
石神井川は巨大なU字溝となっており、
短竿ではどうにもならず釣りは断念 
 
 その先、環状七号線の陸橋下を
過ぎると道は広い17号線に合流した
まもなく…真言宗
の古刹、南蔵院に入る…
平日のためか誰もいない…

 境内に入ってすぐ左側には名物のしだれ桜の下に
庚申塔が10体近く並ぶ… ちょっと季節が遅かった…
その向かい側に光背を付けたレリーフ状の6地蔵…
よだれかけの付け方が光背ごとしばりつける方式なので
これが6体連続すると何かおかしい…
もっといい方法がないのだろうか…
そう思いながらもいい表情なのでスケッチする

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 それにしても重い光背付きでは「かさじぞう」に
なるのは難しいだろうと思った

清水町のセブンイレブンですじこ醤油漬けおにぎりと
シーフードヌードルを購入…公園でもあれば…と歩きながら
探したがみつからず、歩き食いをした…

■ 志村一里塚 (№3) ■

 志村の一里塚に到着…
一対で残すために歩道の方が遠慮して
方形の一里塚を直角に 取り巻くようになっている…
17号線の道幅は当時より拡張されているのだろうから
厳密には一里塚の場所は動いているのだろう
でも、残している意思がほんとうにスゴイ… 
右折帯を含めて片側3車線を隔てて並ぶ
一里塚の姿には色々考えさせられた

 あの日本橋にかかる首都高速は我慢できなかったのに
この一里塚は今の姿としてアリだと思える 
 
 一里塚の樹木は江戸時代のそれとは違うし
補強の石垣も後代の 細工というが
当時に思いをはせてスケッチした
絵が俯瞰になっているのは交差点からの視点を
googleの画像により参照したため

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 毎月25日には地域の人が清掃して維持しているという
17号線と交差する通りはズバリ<一里塚通り>




 志村坂上から少し先は旧道が左がわに残っていた ⇒ 7へ続く

武州中山道を歩いて 7 清水坂 戸田橋

志村一里塚を過ぎ、志村坂上から17号を渡って
交番のところから左側の旧道に入る…

 少し行くと富士大山道の道標と庚申塔が
並んで普通の民家の玄関脇に立っている…  
 
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 それほど古くは見えないこの家は石碑とどんな関係が
あるのか…ないのか…ちょっと気になるのだが、
家の前でスケッチさせてもらうだけで
感謝しなければいけないのだろう…

 その先が清水坂…
中山道最初の難所と言うが、
確かにここまでで 一番急坂だった
曲がりながら 坂は200メートルほど続く…

 これまでの平坦な道に慣れていたためか
つま先や脚への負担が大きく坂を意識せざるを得ない…

 志村3丁目の交差点に出てもう一度17号を渡ったところに
薬師の泉がある…

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 これは江戸時代の庭園を平成に入って整備し直したとのこと… 

 園内の東屋から見渡すと植物と池に関しては
時代が経っても昔と変わらないのだと実感できる…

 志村の一里塚と合わせて考えても板橋区が
歴史遺構の保全に力を入れていることがわかる…

いよいよ埼玉が近くなってきた…

 まず新河岸川の志村橋を渡る…
 シートパイルを使った護岸が続き、
く釣りをする雰囲気はまったくなく
ここもクチボソ吊りは断念…

 続いて戸田橋交番から戸田橋を渡る…
戸田橋交番は昔、盗まれた自転車を取りに来て
ガタガタにされた自転車を乗って帰ったことがあった

 橋の上から見ると荒川も護岸工事で釣り場はなさそう…
でもあきらめきれず交差点を渡って上流側へ出ると、
かろうじて下に降りることができたが、
川風があり波が高くて断念…


 
 戸田橋北詰から階段を下りて旧中山道に進む… ⇒ 8 に続く

武州中山道を歩いて 8 菖蒲川 戸田一里塚 (№4)

戸田橋の石段を降りると旧中山道の案内板があった…



 その少し先の土手の上に戸田渡船場跡の
石碑と案内板が見えたのだが、そこまでいく
元気がなく中山道へ…

 予習によるとすぐ左手に中山道ミニパークという
施設があるらしい…見つからないまま菖蒲川に
突き当たってしまった…悔しいので少し戻ると
どうやらごく普通の公園と思って通り過ぎた
8メートル×16メートル程度のスペースが
ミニパークだった…ミニにもほどがある

 今日のルートで釣りができるかとにらんだ
最後の川、菖蒲川は見てびっくり…
ドロドロによどんでいてこの上流にボートコースが
あるとは信じられない汚さ…

 川岸に立っている<水のきれいなみんなの川>
の看板が悲しくもおかしい…  
 こんな看板は写真で見せればいいようなものだが
あえて絵にすることにした…

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 あきらめきれず17号脇の曲尺手橋を渡ったところで
フェンスを乗り越えてちょっと竿をだそうとも思ったら…
橋の下にハンガーにかかった服があるのを見て
縄張り争いをしたくないので断念…


 戸田公園駅を本日の終着点とするため
17号から通称オリンピック道路へ入り、
埼京線高架に沿って駅を目指す…
公園に石碑があり
因縁とともに芭蕉の句が刻まれていた…

    <涼しさやほの三日月の羽黒山>  

 羽黒山は頂上に羽黒山権現を祀った小高い丘だったが
 東京オリンピックのボートコース造営で掘削されたのだという


   ■  戸田一里塚 (№ 4) ■

日を改めて埼京線戸田公園駅から旅を続行…

 車中から靄の中に丹沢山系が遠望できた…
昔なら富士山とともに大山もハッキリと近く、際立って
大きく見えたに違いない…江戸時代の庶民にとって
富士講や大山講は必然だったのだ…と思えた

 戸田公園駅に到着…すぐに前回の続きの地点へ行き、
戸田の一里塚跡とされるつつじ幼稚園を確認する…

 
 17号線に面した
幼稚園はすぐに見つかった…
特に一里塚の表示があるわけでもない普通のたたずまいだ
せっかくだから園内にあるという庚申塔をちょっと見たいと
思ったが、静かな園庭に侵入する勇気もない…
結局外観をスケッチするだけに終わったのだった 

 
 一里塚の跡に幼稚園…悪くないかな
 
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                    園名とは違い、イチョウの木が目立っていた…

 そこからは17号をぶらぶら歩く…
ご縁があって埼玉県に移り住んで40年近くになるが
京浜東北線や高崎線ルートから遠いため戸田市には
ほとんど足を踏み入れることがなかった…

 埼京線が開通してからも人間ドックで戸田中央病院に
お世話になったぐらいだろうか…
そんなことを考えながら歩いていると右手に
道路の色がちょっと違う道が見えてきた…
その様子は板橋宿の入口にどことなく似ている
 そこが蕨宿の始まりだった… ⇒ 9 に続く


 

 
 
 

武州中山道を歩いて 9 蕨宿

蕨宿は街に気合が入っていた…



 道路の舗装が特別になっているだけなく
風情のある街灯には

<次世代への襷 蕨宿開設400年>

というペナントがかかっている…
看板に<中山道宿○○>と書かれているお店も
あちこちに見られ、町をあげて宿場町を
アピールしていることがわかる…

全長1キロほどの宿場の中ほどに歴史民俗資料館があった…
入ってみると観客はご婦人が一人いるばかり
展示品は蕨宿の200分の1のジオラマやリアルな
等身大の人形が2体いる旅籠のセットなどが目についた。
特に旅籠の人形は予想外のクオリティで
薄暗い館内では視線の横に入るとまるで
そこに人がいるような気配となり
入館者がいない分ドキドキしてしまった…

 展示品の中に相当状態のいい庚申塔があった…

実物を運び込んだのか確かめたくて、ためらいながら
手を触れるとあきらかにFRP製のレプリカだった…
だとするとこれはちょっとこれは残念なことだ

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 先日NHKで放送されていた大英博物館には
有名なロゼッタストーンの実物とは別にレプリカがあり
これは自由に触るようにうながす掲示があった
興味あるものに触りたいのは本能に近い…
保存に問題がないものなのだったら
<どんどんさわって…>とアピールしたほうが
蕨のイメージアップになるのではないだろうか…

 通常の展示とは別に桐山千一という写真家の
スケッチを集めた特別展があった。
 旅の思い出を色鉛筆のスケッチと記念スタンプに
手書きの記録を添え、1カ所1枚のスケッチブックにまとめたものだが、
そのボリュームと几帳面な素晴らしい出来栄えに圧倒された…
 
こうした思いがけない出会いができるのも
外へ出かける効果に違いない…

歴史民俗資料館を出てしばらく行くと<地蔵の小径>
の表示がでている古刹、三学院がある…
大きな子育て地蔵、六地蔵、目疾地蔵があった…

 特に眼疾地蔵は両目が茶色の物質でふさがれており
いたずらにしては異様な光景と思ったら
病気回復を願う眼かけなどだという説明があった…  

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 この地蔵は2メートル近く、解説によると連台、光背も含めて1石から切りだされて
いるという…それにしては地蔵と光背の石色が違って見えたのだが…

17号にぶつかるところで蕨宿が終わり、
旧中山道は17号を横切る形でその先へ続いていく…

途中に一六橋の架かる一六用水では釣りを試みたが
完全なドブと化しており、全くあたりがなかった…
ドブで釣りをする自分もどうかしてる

 その先、さいたま市との境界近く、
境橋の架かる笹目用水も同じような状態だった。
ここは水量が増す時期なら違うのだろうがこの日は全くダメ…



 外環道路をくぐる直前の公園に辻一里塚跡があった⇒ 10へ続く

武州中山道を歩いて 10 辻一里塚跡(№5)から 焼米坂

 蕨宿の街並みが楽しかったので、その先しばらくは
あまり刺激を受けないまま歩いて行った…

 外環道路をくぐる直前の公園に辻一里塚跡があった…
日本橋を起点にして5番目の一里塚…ということは25キロ
歩いたことになるわけだ(まだ?)
中山道と交差している外環道路と石碑の対比…

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日本橋を圧迫する首都高速道路は描くことを省略したが
なぜか今回は抵抗なく背景に加えたのだった…

 道がぐっと右にカーブしたその先は六辻の交差点…
ここからはなじんだ道が続く…ケンタッキーフライドチキンの横を通り、
その先の高台(大宮台地)を左に巻くようにして上り坂にさしかかる…
焼米坂だ …
 
2007年10月24日 (水) 05:12時点における版のサムネイル 浮世絵師英泉が描く浦和には焼き米売りの茶屋が登場する

 浦和はもともと坂道の多い町だから住んでいる時は気にもしていなかったが、
こうして歩いてくると焼米坂は確かに急坂だ…
歩道が狭く、しかも浦和に入ると車の交通量が激増している…
現代の歩行者には今までで一番の難所かもしれない…
そういえばここで初めてガードレールが登場したのも納得できる…

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 坂上に歩道橋があるのは近くに小学校があり、その通学路と
なっていることも関係するのか…その先からは平坦になる 

 
焼米坂から数百メートル歩くと右手に圧倒的なボリュームで緑が広がってきた…調神社だ…⇒ №11 に続く
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プロフィール

楽葉サンタ

Author:楽葉サンタ
元児童劇団員、元図書館員…
リタイアした現在は幼児でも遊べる人形劇を楽しく研究中…
妻一人、子ども三人、孫四人

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