ぼくの木馬座始末記 12 ヘンゼルとグレーテル
木馬座のメインの公演は東京では東横劇場と読売ホール、冬はこれに加えて三越劇場が恒例となっていた。
ぼくは地方回りの流れでそのまま三越劇場の『ヘンゼルとグレーテル』についた。
しかし、言い渡された仕事は予想外のものだった。
■「ぼくでいいんですか?」■
これまでは裏方の一人として雑用をしていたのに音響担当を言い渡された。
通常の本公演では生の声優がつくのだが、この芝居は司会のお姉さんがいるだけで
すべて録音済みのテープで進行する。責任重大だ。セリフ、効果音,BGM、楽曲など
芝居の進行に合わせて編集したテープを2台のデッキに振り分け、一人で操作するのだ。
例えばヘンゼルとグレーテルが魔女によってピンチになるところで
司会のお姉さんが登場するといったんテープを止める。
そして司会と客席とのやり取りの後で続けて音を出す場面があった。
また、音楽は進行状況に対応できるように長めに作られている部分もあるので、
短くて済んだ時は次のきっかけまでテープを早回しで進めておく必要もあるのだった。
これを可能にするのがきっかけ部分につけた白いテープだ。
音出しのきっかけが目で見えるようになっている。
音響さんが使っているデッキはスリーセブンという愛称の器械で
見るからに操作性が良く、家庭用とは違っていた。
特に上面右側についている4つのボタンは軽く触れるだけで早送り、
巻き戻しなどの操作が可能で左右に置いた2台を操る音屋さんを
かっこいいなぁ…と思っていたのだった。まさかそれが自分に降りかかってくるなんて…
でも、やれということは上司がやれると思ったからだろうと覚悟を決めて
地方公演に同行したスタッフから引き継ぎを受けたのだった。
ただし、スリーセブンについては木馬座の録音テープや機材を納めた部屋にもあり、
テープのつなぎ方、操作方法などについて以前にレクチャーを受けたこともあった。
親切に教えてくれたのはケロヨンの声の新井さんだった。
ぼくはこのとき劇の楽曲の演奏だけが入ったものをカラオケというのだと
初めて知った。
三越劇場のほかに大阪毎日ホールでも公演があった。
上手袖で劇場スタッフと打ち合わせしながらも「この人たちはまさか木馬座の芝居で
こんなド素人が音出ししているとはおもっていないだろうなぁ…」と考えて少し怖くなったことを思い出す。
■ 公演のあれこれ ■
ヘンゼルとグレーテルはグリム童話で有名だが、 初めて稽古に立ち会った時、
開幕でヘンゼルとグレーテルがほうき作りをする曲や
森の中で天使が出てくる宗教的な歌があったりとどうもこれまでの曲と
様子が違うと思ったら、 ドイツのフンパーディンクが作曲した3幕物のオペラが基だった。
後で知ったことだが、藤城清治の人形劇団がジュヌ・パントと名乗っていた時代から
このバージョンで上演しており、芥川也寸志指揮の生演奏でもやったとか…
そして12月に三越劇場で『ヘンゼルとグレーテル』を上演することは
昭和35年から度々行われていたのだった。
三越劇場は日本橋本店の6階フロアーの一部でキャパは500名ほど。
小さいけれど座席は格調高く、大理石を多用した壁面も豪華でこれまで回ってきた
地方の市民会館とは雰囲気が全く違っていた。
『ヘンゼルとグレーテル』は大道具が少ない芝居なのでサイズ的には三越劇場クラスが
ぴったりなのだった。大道具といえば、三越劇場は搬入用EVがなかったのか、
それとも他の事情があったのかは覚えていないのだが、営業時間外に
通常フロアーの階段を使って運んだ記憶がある。
明るい階段を登るときにぼくたちが手作りしたセットを見ると
地方公演であちこち痛んだり、色が落ちたりしている。
ところが舞台に飾り、照明さんが 明りを入れると光り輝くのだ。
改めて照明の魔法、舞台の魔法を感じたことだった。
『ヘンゼルとグレーテル』の司会は『ピーターパン』のウエンディ役だった山添多佳子だった。
(因みに彼女は2年後にマークレスター主演の映画『卒業旅行』にヒロイン役で
出演したのだが、その後の消息は知らない。)
今から考えればぼくが音響をやるなど経費削減にも程がある。
見せ場のはずのお菓子の家もけっしてわくわくするような夢のあるセットになっていなかった。
本当にお金がなかったのだろう…
でも、そんな芝居をみせることについて藤城清治はどう思っていたのだろうか…
ところで…年末の公演なので開幕前に流す曲「ケロヨンのクリスマス」が
すっかり耳になじんでしまい、その結果40年後の今でも 歌えるのだが、
これはまったく披露する場もなく、自慢にもならない。
この時期に直面した木馬座の倒産ともうひとつの冬の公演『雪の女王』については次の話で…
ぼくは地方回りの流れでそのまま三越劇場の『ヘンゼルとグレーテル』についた。
しかし、言い渡された仕事は予想外のものだった。
■「ぼくでいいんですか?」■
これまでは裏方の一人として雑用をしていたのに音響担当を言い渡された。
通常の本公演では生の声優がつくのだが、この芝居は司会のお姉さんがいるだけで
すべて録音済みのテープで進行する。責任重大だ。セリフ、効果音,BGM、楽曲など
芝居の進行に合わせて編集したテープを2台のデッキに振り分け、一人で操作するのだ。
例えばヘンゼルとグレーテルが魔女によってピンチになるところで
司会のお姉さんが登場するといったんテープを止める。
そして司会と客席とのやり取りの後で続けて音を出す場面があった。
また、音楽は進行状況に対応できるように長めに作られている部分もあるので、
短くて済んだ時は次のきっかけまでテープを早回しで進めておく必要もあるのだった。
これを可能にするのがきっかけ部分につけた白いテープだ。
音出しのきっかけが目で見えるようになっている。
音響さんが使っているデッキはスリーセブンという愛称の器械で
見るからに操作性が良く、家庭用とは違っていた。
特に上面右側についている4つのボタンは軽く触れるだけで早送り、
巻き戻しなどの操作が可能で左右に置いた2台を操る音屋さんを
かっこいいなぁ…と思っていたのだった。まさかそれが自分に降りかかってくるなんて…
でも、やれということは上司がやれると思ったからだろうと覚悟を決めて
地方公演に同行したスタッフから引き継ぎを受けたのだった。
ただし、スリーセブンについては木馬座の録音テープや機材を納めた部屋にもあり、
テープのつなぎ方、操作方法などについて以前にレクチャーを受けたこともあった。
親切に教えてくれたのはケロヨンの声の新井さんだった。
ぼくはこのとき劇の楽曲の演奏だけが入ったものをカラオケというのだと
初めて知った。

三越劇場のほかに大阪毎日ホールでも公演があった。
上手袖で劇場スタッフと打ち合わせしながらも「この人たちはまさか木馬座の芝居で
こんなド素人が音出ししているとはおもっていないだろうなぁ…」と考えて少し怖くなったことを思い出す。
■ 公演のあれこれ ■
ヘンゼルとグレーテルはグリム童話で有名だが、 初めて稽古に立ち会った時、
開幕でヘンゼルとグレーテルがほうき作りをする曲や
森の中で天使が出てくる宗教的な歌があったりとどうもこれまでの曲と
様子が違うと思ったら、 ドイツのフンパーディンクが作曲した3幕物のオペラが基だった。
後で知ったことだが、藤城清治の人形劇団がジュヌ・パントと名乗っていた時代から
このバージョンで上演しており、芥川也寸志指揮の生演奏でもやったとか…
そして12月に三越劇場で『ヘンゼルとグレーテル』を上演することは
昭和35年から度々行われていたのだった。
三越劇場は日本橋本店の6階フロアーの一部でキャパは500名ほど。
小さいけれど座席は格調高く、大理石を多用した壁面も豪華でこれまで回ってきた
地方の市民会館とは雰囲気が全く違っていた。
『ヘンゼルとグレーテル』は大道具が少ない芝居なのでサイズ的には三越劇場クラスが
ぴったりなのだった。大道具といえば、三越劇場は搬入用EVがなかったのか、
それとも他の事情があったのかは覚えていないのだが、営業時間外に
通常フロアーの階段を使って運んだ記憶がある。
明るい階段を登るときにぼくたちが手作りしたセットを見ると
地方公演であちこち痛んだり、色が落ちたりしている。
ところが舞台に飾り、照明さんが 明りを入れると光り輝くのだ。
改めて照明の魔法、舞台の魔法を感じたことだった。
『ヘンゼルとグレーテル』の司会は『ピーターパン』のウエンディ役だった山添多佳子だった。
(因みに彼女は2年後にマークレスター主演の映画『卒業旅行』にヒロイン役で
出演したのだが、その後の消息は知らない。)
今から考えればぼくが音響をやるなど経費削減にも程がある。
見せ場のはずのお菓子の家もけっしてわくわくするような夢のあるセットになっていなかった。
本当にお金がなかったのだろう…
でも、そんな芝居をみせることについて藤城清治はどう思っていたのだろうか…
ところで…年末の公演なので開幕前に流す曲「ケロヨンのクリスマス」が
すっかり耳になじんでしまい、その結果40年後の今でも 歌えるのだが、
これはまったく披露する場もなく、自慢にもならない。
この時期に直面した木馬座の倒産ともうひとつの冬の公演『雪の女王』については次の話で…
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