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武州中山道を歩いて 22 深谷宿 その2

  ■ 深谷宿  ■

 元気回復したところで旅を再開…
深谷宿の本陣あとは今や近代的な印刷所の建物に変わっていた…
案内板を見ると本陣は大変な仕事で本当は辞退したかったがやむを得ず続けた…
という趣旨の愚痴が書かれており案内板の文面としては珍しいものを見せてもらった 
深谷宿は旅籠軒を擁する中山道最大規模の宿場だったらしい…
歩いていてあまりそのような印象は受けないが、当時は何かと違っていたのだろう…
そして時々参照する英泉の浮世絵<深谷之驛>は飯盛女をメインに描かれている…
さきほど通った見返りの松もそのあたりの事情が関係しているらしいのだが…

800px-Kisokaido09_Fukaya[1] 


 右手の奥にレンガ造りの煙突がそびえている
深谷はレンガで有名だからいかにも深谷らしい風景だと思う
スケッチするには少し遠いのであきらめて歩きだした…

 すると今度は左側に大きな煙突が現れた
これは中山道沿いにあるので迷わず描いた
レンガの色合いが何とも美しいのだが十分に表現できずに残念だ


kikuizumi075_convert_20130308154428.jpg 
 
 ぼくは知らなかったが有名な蔵元らしい
レンガ造りといっても例えば深谷駅や最近改修が終わった東京駅などの
建物はテーマパークの一部のように感じられる
その点この煙突は時代が経っており、さらにそれをに誇りを持って受け継ごうとする
意志が伝わってくる構造物だ…

 蔵元のすぐ先に西の常夜燈が見えた…
東の常夜燈をスルーしたので道端に腰をおろしここで一枚スケッチをする…
 
jouyatou076_convert_20130308161211.jpg 

建立した講のマークだという<三>という文字が透かし彫りになっている
明りの少なかった時代…旅人はこの常夜燈の光にホッとしたことだろう


 向かい側の呑龍院という小さな寺には子育て地蔵と表示されたお堂があり、
中に小ぶりで品のいいお地蔵さんが4体安置されていた…

深谷宿を過ぎるとありがちな単調な風景に変わり、疲れもあって
ひたすら今日のゴールを目指して歩くことになった…
ここまで歩いてきて深谷の街道沿いはガードレールが充実していることと
ほとんどつぶれかかった廃屋の姿が多いことに気がついた…
後者はこれまで見たことがないほどの荒れ様の家なのだ…
直下型地震でもないだろうし謎だ…
また、このあたりの街道の右側は低く田園風景がどこまでも続いている…

 藤屋食堂という看板のところで道が17号と右側の旧道に別れる…
交差するところに廃バスを使ったラーメン店があり、その隣に二つの石碑が並んでいた
旧道からは裏側が見える…17号側に回ると<原中や 物にもつかず鳴く雲雀>という
芭蕉の句が彫られていた…この句にちなんで雲雀塚というらしい…
なんで車が往来する17号に向いているのかちょっと疑問が残るのだった

hibarizuka082.jpg 

雲雀塚の隣には本体より一回り大きな石碑が立っている…
文面を見ると再建した経緯が記されており、裏面には
<昭和37年10月12日再建 岡部文化会建立>とある

細い旧道を数百メートルほど歩き、交差点を左に進み
17号岡部駅入口交差点を横切れば一直線で駅に向かう…
しかし、駅まではそこから1キロ以上あるのでちょっと大変だった… 
それはそれとして、20mはあると思われる広く新しい道路の先に、
道とは不釣り合いな小さな…まるでマッチ箱のような平屋の岡部駅が待っていたのだった… 

 中山道の旅も残すところあと2回となった…⇒№23 岡部ー本庄へ続く
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プロフィール

楽葉サンタ

Author:楽葉サンタ
元児童劇団員、元図書館員…
リタイアした現在は幼児でも遊べる人形劇を楽しく研究中…
妻一人、子ども三人、孫四人

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