武州中山道を歩いて 24 本庄宿から新町宿
■ 本庄駅から新町駅へ(最終日) ■
昨年、2012年5月5日にスタートしてから約1年…
4月1日(月)昼ごろに本庄にt到着…
前回の本庄駅入口交差点を左折し近くにある
歴史民俗資料館を目指す…が…見事に月曜休館日であった…
当然といえば当然…浦和の鵬翔閣にも似たたたずまいを見ながらおにぎりを食す…
資料館の前には本陣の門が移設されていた…
さて、今日は最後の旅なので、おみやげを物色しながら歩いていると
古そうな和菓子屋の<かりんとうまんじゅう>というポスターが目につき、
入ってみたが売り切れとのこと…月曜のこんな時間にもう?
せっかく入ったので名物らしき<普寛もなか>を購入…
墓地に芭蕉句碑があるという安養院がすぐ裏手だった…
大きな三門の向こうに地蔵が見える…
隣接する場所に普寛霊場(ふかんれいじょう)という看板があり、
もなかの名前はこれにちなんだものだとわかった…
安養院は墓地が小学校の校庭ほどもある…
句碑は20分ほどかけて探したが見つからなかった…
安養院のすぐ近くにある金朁神社(かなさなじんじゃ)は
樹齢400年超というご神木の楠が立派だ…
境内の主要な樹木には すべて種類を表すプレートがついている…
ぼくのような名前に疎いものにとってその場で確認できるのはありがたい…
100mほどから左手にまた旧道が始まる…
その間の歩道には中山道の宿場が陶器プレートで埋め込まれていた
道がわかりにくいので道案内を兼ねているのだろう
しばらくは黙々と歩いた…万年寺という地名のあたりに22番目の一里塚があったようだが、
全くその気配はなかった…
左手に赤い鳥居と満開の桜が目に入った…
浅間山(せんげんやま)古墳だった高さ5.6mぐらいだろうか…小さい円墳だ…
鳥居をくぐり階段を上って頂上までいくと…小さい祠がありその様子は
北本の原馬室一里塚に良く似ていると思った…
神保原陸橋を過ぎ、左手に神保原駅があるあたりを過ぎ、神保原(北)交差点で
17号と交差しながらまた進んでいく…
右手の一角に民家に挟まれた5m四方程度のへこみがありそこに祠と一里塚の標識があった…
23番目となる武州最後の勝場の一里塚跡だった…
塚木はないものの、スペースがはっきり確保されており史跡として残す意思が感じられる…
一里塚から50メートルほどの勅使河原(北)交差点で今度は17号に合流する…
そこからの道は明らかに登りになっており、その先には神流川(かんながわ)橋があるのだ…
最終日には英泉の浮世絵に合わせて神流川から
遠く浅間、妙義、榛名、の上毛三山に加え、
赤城、白根の山々を望んだスケッチをしようと思っていた…
橋まで来てがっかり…晴れてはいるのだが、山々は霞の中でほとんど見えない…
でも悔しいので、心眼?を駆使したスケッチを残した…
橋を渡りながら下を見ると神流川の川幅はそれほど広くない…
せっかくなので川辺に立ちたいものだと思い群馬県側に渡ってから
15分ほど回り道をして橋の下にたどりついた…
水面に触れてみると温かくも冷たくもない温度が伝わってきた…
ごく浅い流れに魚影はなかった
あとは新町駅までいくだけだ…
橋を過ぎたころからどこからか鼻の悪いぼくにも甘いにおいが感じられた…
道の左側に近代的なガラスのパビリオンのような四角い建物が見えた…
地図によると有名な菓子工場でラスクが有名らしい…
小売もあるようなのでおみやげに買ってみようかとも思ったが、
あまりにもきれいな建物で警備員もいるから
この汚い格好ではどうかしらと気後れして止めてしまった…
工場の先で道はまた17号から右に分かれ新町宿となる…
100mも行かないうちにさっきの工場と同じ名前のラスクの店があった…
入って聞いてみるとその店が発祥の店で工場は比較的最近できたらしい…
ということで無事にラスクをゲットできたのだった…
そこから少し行った右側に神社があり芭蕉の句碑が立っていた…
<傘におしわけ見たる柳かな>
この場所にあったといわれる 柳茶屋にちなんで
地元の俳人が芭蕉の句を選んだらしい…
点字ブロック付きに整備された道を歩いていくとやがて新町駅入口交差点…
いよいよ旅の終わりだ…ここを左折して300メートルほどで駅に着くのだ…
と思ったら角に純喫茶の看板があった…
列車ダイヤの確認もできるだろうし、と中に入った
ぼくと同年輩のマスターが淹れてくれたおいしいコーヒー(チョコチップのおまけつき)を
いただきながら約1年かけた旅で考えたことをメモに残してみた…
喫茶店でのメモを含めた旅の総括を次回まとめて最終回としたい
昨年、2012年5月5日にスタートしてから約1年…
4月1日(月)昼ごろに本庄にt到着…
前回の本庄駅入口交差点を左折し近くにある
歴史民俗資料館を目指す…が…見事に月曜休館日であった…
当然といえば当然…浦和の鵬翔閣にも似たたたずまいを見ながらおにぎりを食す…
資料館の前には本陣の門が移設されていた…
さて、今日は最後の旅なので、おみやげを物色しながら歩いていると
古そうな和菓子屋の<かりんとうまんじゅう>というポスターが目につき、
入ってみたが売り切れとのこと…月曜のこんな時間にもう?
せっかく入ったので名物らしき<普寛もなか>を購入…
墓地に芭蕉句碑があるという安養院がすぐ裏手だった…
大きな三門の向こうに地蔵が見える…
隣接する場所に普寛霊場(ふかんれいじょう)という看板があり、
もなかの名前はこれにちなんだものだとわかった…
安養院は墓地が小学校の校庭ほどもある…
句碑は20分ほどかけて探したが見つからなかった…
安養院のすぐ近くにある金朁神社(かなさなじんじゃ)は
樹齢400年超というご神木の楠が立派だ…
境内の主要な樹木には すべて種類を表すプレートがついている…
ぼくのような名前に疎いものにとってその場で確認できるのはありがたい…
楠は360度全方向に大きく枝を張っているのが見事だ
一か所地上から枝へ杖のように添え木がつけられている
金朁神社を過ぎ、千代田3丁目交差点を右折して 一か所地上から枝へ杖のように添え木がつけられている
100mほどから左手にまた旧道が始まる…
その間の歩道には中山道の宿場が陶器プレートで埋め込まれていた
道がわかりにくいので道案内を兼ねているのだろう
しばらくは黙々と歩いた…万年寺という地名のあたりに22番目の一里塚があったようだが、
全くその気配はなかった…
左手に赤い鳥居と満開の桜が目に入った…
浅間山(せんげんやま)古墳だった高さ5.6mぐらいだろうか…小さい円墳だ…
鳥居をくぐり階段を上って頂上までいくと…小さい祠がありその様子は
北本の原馬室一里塚に良く似ていると思った…
神保原陸橋を過ぎ、左手に神保原駅があるあたりを過ぎ、神保原(北)交差点で
17号と交差しながらまた進んでいく…
右手の一角に民家に挟まれた5m四方程度のへこみがありそこに祠と一里塚の標識があった…
23番目となる武州最後の勝場の一里塚跡だった…
塚木はないものの、スペースがはっきり確保されており史跡として残す意思が感じられる…

祠が一里塚の存在を保護しているかのようだ…
一里塚から50メートルほどの勅使河原(北)交差点で今度は17号に合流する…
そこからの道は明らかに登りになっており、その先には神流川(かんながわ)橋があるのだ…
最終日には英泉の浮世絵に合わせて神流川から
遠く浅間、妙義、榛名、の上毛三山に加え、
赤城、白根の山々を望んだスケッチをしようと思っていた…
橋まで来てがっかり…晴れてはいるのだが、山々は霞の中でほとんど見えない…
でも悔しいので、心眼?を駆使したスケッチを残した…

かすかに見える山影をたどっていたら英泉の浮世絵とは
似ても似つかないものになった…勝手なイメージである…
似ても似つかないものになった…勝手なイメージである…
橋を渡りながら下を見ると神流川の川幅はそれほど広くない…
せっかくなので川辺に立ちたいものだと思い群馬県側に渡ってから
15分ほど回り道をして橋の下にたどりついた…
水面に触れてみると温かくも冷たくもない温度が伝わってきた…
ごく浅い流れに魚影はなかった
あとは新町駅までいくだけだ…
橋を過ぎたころからどこからか鼻の悪いぼくにも甘いにおいが感じられた…
道の左側に近代的なガラスのパビリオンのような四角い建物が見えた…
地図によると有名な菓子工場でラスクが有名らしい…
小売もあるようなのでおみやげに買ってみようかとも思ったが、
あまりにもきれいな建物で警備員もいるから
この汚い格好ではどうかしらと気後れして止めてしまった…
工場の先で道はまた17号から右に分かれ新町宿となる…
100mも行かないうちにさっきの工場と同じ名前のラスクの店があった…
入って聞いてみるとその店が発祥の店で工場は比較的最近できたらしい…
ということで無事にラスクをゲットできたのだった…
そこから少し行った右側に神社があり芭蕉の句碑が立っていた…
<傘におしわけ見たる柳かな>
この場所にあったといわれる 柳茶屋にちなんで
地元の俳人が芭蕉の句を選んだらしい…
点字ブロック付きに整備された道を歩いていくとやがて新町駅入口交差点…
いよいよ旅の終わりだ…ここを左折して300メートルほどで駅に着くのだ…
と思ったら角に純喫茶の看板があった…
列車ダイヤの確認もできるだろうし、と中に入った
ぼくと同年輩のマスターが淹れてくれたおいしいコーヒー(チョコチップのおまけつき)を
いただきながら約1年かけた旅で考えたことをメモに残してみた…

最後のスケッチが喫茶店では今回の趣旨に反するようだが…
喫茶店でのメモを含めた旅の総括を次回まとめて最終回としたい
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