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ぼくの木馬座始末記 22 ライオンのめがね 2

『ライオンのめがね』公演での記憶をもう少し書いておきたい…

 ■ 司会のおねえさん ■ 
 『ライオンのめがね』では進行役のおねえさんがダブルキャストで担当していた。
そのうちの一人は全く記憶にない。しかしもう一人のつかせのりこは忘れられない。
 青二プロに所属するつかせさんは前年ぐらいからNHK人気工作番組「できるかな」で
話をしないノッポさんゴン太くんにからむ進行役「おしゃべりさん」を勤めていた。
彼女はいつも元気で裏方のぼくたちにも気さくに声をかけてくれた。司会の舞台衣装は
赤白のボーダーTシャツ、白い帽子に白いパンタロン。これに合わせてかそうでないか…
彼女の化粧はかなり濃いものだった。これを実感したのにはきっかけがある。
 ある日、楽屋前で見覚えのないお姉さんに「おはようございます」とあいさつされた。
シチュエーションから判断してこれがすっぴんのつかせさんだったわかるのには少し時間が必要だった。
 この舞台から数年たってつかせさんは声優の仕事を活発に始め、TVアニメ「おはようスパンク」や
「ひみつのアッコちゃん」などでちょっと鼻にかかった懐かしい声を聞くことになった。
彼女が40代で病死したことは新聞で知った。

「できるかな」のノッポさん役の高見映が著書の中で彼女についてこう書いている。
ノッポさんがしゃべった日 (扶桑社文庫)  高見映著 1991年刊 丸善メイツ  絶版 (図は扶桑社文庫版による)

「…死ぬ二年ほど前から、シャンソンなどを聴かせる店で一生懸命に歌い始めた。しばらくすると、お店の中でひとりライブをやるようになった。そんな時、彼女はぼくの家にやってきて、動きをつけてくれ、というのだった。カセットに合わせて歌う彼女にぼくが一日かかって動きをつけてやると、彼女は持参のノートにきちんと書きこんで帰って行った。  (中略)
のこは賢くていい子だった。そして相棒として完ぺきだった。」

 思い返せば一瞬の出会いだったが、つかせさんの明るさ、元気さが忘れられない。

 ■ 工夫する人 ■
 キャストの中には同じ劇団、バレエ団からまとまって参加しているケースがよくあった。
でも兄弟で…というのはそれほど多くはなかった。
 『ライオンのめがね』にはたくさんの動物がでてくる。準主役のトラ大臣を演じていた俳優の弟が
端役のゴリラをかぶっていた。当初は目立った存在ではなかった。
しかし、開幕してしばらくすると毎日舞台を客席からチェックしている制作助手のMKさんが
あのゴリラはいい芝居をするなぁ…」としきりに感心するようになった。
このゴリラの唯一の見せ場は上手から出てきて「今日も元気だバナナがうまい…おれは幸せだぁ…」
といいながら下手へ入っていく場面だった。MKさんにそういわれてから注意してみると、
彼、石倉義久さんはでんぐりがえしをしたり、キョロキョロしたりと毎回すこしづつ出かたを変えている。
これは演出の埒外であり、このことで確かに存在感を出していた。
どうせ与えられた仕事をするなら、工夫した方が本人も楽しいのだろうと思った。

 この芝居が認められて、次のレパートリー『シンデレラ』ではシンデレラを蔭ながら支え、心配する
じいやを演ずることになった。
 その後は劇団木馬座だけにとどまらず、マスクプレイと称する劇団飛行船へと
活躍の場を拡げていること伝え聞いていた。
しかし、後年地方で事故死されたと弟から聞いて驚き、残念に思った。

つかせさんと石倉さん…同世代のお二人のことはこれからも折々思い出すだろう…

 ■ あったりまえ? ■
 『ライオンのめがね』は児童演劇らしからぬ老いが一つのテーマになっている。
ライオン王が読書を楽しむ老人からめがねを譲り受け、めがねを失った老人に
「これから先、毎日何をして生きるのかね」とたずねる…すると老人がこう答える…

「はい。めがねがなければ、もう本を読むこともできません。確かに生きる歓びはひとつ
すくなくなりましたが、まだ、私は、草の葉の生き生きした匂いをかぐことができます。
足の裏に、朝露の冷たさを感じる歓びもあります。私は、その喜びを一つづつ探して、
死ぬまで生きていきます」

 老人の声をあてていた声優(『スケートをはいた馬』 でネグロカバロの声をあてた人)が
あるときこのセリフを話した後、オフマイクの舞台袖でつぶやいた。
「死ぬまで生きていく…あたりまえじゃないか…」
 ぼくは何かが引っかかり、このことがずーっと頭の隅に残っていた。
 そして生きることの意味を考えさせられる時…特に若者の自殺の報道に接する時などに
思い出すのだった。この老人は失ったものを嘆かず、できることを探す姿勢を忘れない。
生あるものは死ぬまでは(寿命がつきるまでは)四の五のいわずに生きていくものだ …
と考えれば 老人の言葉は当たりまえではない金言に思えるのだ。
このセリフ、老人が2幕冒頭には頭蓋骨になってしまう無常感…
 幼児対象の劇としてはスゴイ内容だったと思う。

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 コザルがめがねを見つけた… 喜ぶライオン王とひるむトラ大臣…   <プログラム掲載の舞台写真から>

■ 退団へのステップ ① ■
 『ライオンのめがね』の製作期間中に、ごく個人的なことでちょっと参って食欲減退した時期があった。、
その時、5年前に知り合い、ここ2年ほどほとんど連絡をとっていなかったMに
夜間、職場から電話をした。内容は全く覚えていないが、次から次へと話がはずみ、
電話を切った時には数時間が経過していたと思う。事情を知っている同室の同僚、上司は大目に見てくれた。
ON OFFの差が激しい 職場だから残業代というシステムそのものがなかった。
しかし東京から川崎への市外電話である。いくらかかったのか…
この夜ばかりは会社は 高い残業代を支払うことになったことは間違いなかった。
 次の公演「シンデレラ」については次の回に
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No title

石倉さんのお名前は、役者の人たちから聞いたことがありました。残念ながら一緒に仕事をする機会はありませんでした。確かに、上手な役者さんだったという噂があったと思います。
木馬座の芝居の台詞、子供が分かるかどうか別にして、教育と言う観点で書かれていたのかもしれません。私は『下j気団木馬座の思い出』のなかで長嶋武彦社長が、公園案内の中で、「むずかしいこと」「恐ろしいこと」について述べているのを紹介しましたが、やはり哲学科で大学院卒業と言う人ですから、そのような言葉についての拘りがあったと思います。長嶋社長が楽しそうに話していたのは「はて、面妖な。」と言う『こじき王子』中の気違い牧師の台詞です。最初は、私たちも面妖な?、誰がこんな台詞を書いたのだろう、と訝ったものです。しかし、しっかりと記憶に残っていますから、難しい概念も小出しにすることは教育上大切なのだと思います。

Re: No title

 いつもコメントをありがとうございます。
 
 「はて、面妖な…」はぼくも客席から見ていてびっくりしました。
しばらくは弟たちとこの古風なセリフをいって楽しんだ記憶があります。
確かに幼い子どもたちにとっては未知の言葉だらけが日常ですから、
こうした仕掛けは悪いことではないと思います。


No title

今回はおらあ三太もシンミリしちゃいました。サンタさんの青春時代には、その後の人生にひょこひょこ出てくるものが、ぎっしりつまっているのだなあ。サンタさんの言葉のあれもこれも、ここに原点があると納得することばかりです。同じころ、おらあ三太も青春だったなあと、自分のあれこれを思い出して、さらにシンミリ。三太も年をとりました。
さて、長時間の電話って? ・・・佳境に入ってきたようです。わくわくするなあ。次回が楽しみです。

おらあ三太だ さま

 おらあ三太ださま…
 あなたがもしもぼくが想像している方でしたら、あなたが職場の窓から夕焼けを眺める後ろ姿、
道端の病葉に目をやる気持ち…そんなものにも「ライオンのめがね」の老人を思い浮かべる自分がいました。
この連載も残り10回を切っているはずです。もうしばらくお付き合いください。

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プロフィール

楽葉サンタ

Author:楽葉サンタ
元児童劇団員、元図書館員…
リタイアした現在は幼児でも遊べる人形劇を楽しく研究中…
妻一人、子ども三人、孫四人

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