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武州中山道を歩いて 12 浦和橋(一里塚№6)⇒さいたま新都心

日本橋から6番目の一里塚は浦和橋付近にあり、それは明治16年の
高崎線敷設、昭和初期の浦和橋設置で消滅との説明が多い…
ブログでも一里塚の場所として浦和橋の写真がよく紹介されている

 1907年(明治40年)生まれの児童文学者石井桃子が
幼児期の思い出を記した「幼ものがたり」のなかに、自宅近くに上って
遊んだ小高いところがあり、これを一里塚と考えているという記載がある
その場所は浦和橋からは100メートル以上手前であり、鉄道敷設の
邪魔になったとは考えにくい…本当はどうなのか…

幼ものがたり (福音館文庫 ノンフィクション)幼ものがたり (福音館文庫 ノンフィクション)
(2002/06/20)
石井 桃子

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 浦和橋から100メートルほど進んだ左手奥に50センチほどの観音像が立っている
奥まっていることもあり旅をしたときは気付かず通過していた…
ところがそれから半月ほどしたころ…朝日新聞地方版でこの観音像が紹介されていた
50年ほど前のこと…この付近にあった踏切事故で亡くなった
子どもを供養するため母親が建立したのだが工事の予定があり
関係者を探している…という記事だった
施主は不明になっている…しかし地元の有志が 屋根をつけたり、
花を供えたりしているのだという…
 気になって別の機会にその場所を訪れた…
新聞に掲載されていた写真よりずっと立派な様子だった
観音像には50年以上の時代が感じられ
これは確かに安易に動かせるものではないと思った

kitaurawakannon050_convert_20120910144135.jpg

北浦和駅を過ぎ、北浦和図書館の少し先にある古刹 廓信寺を訪ねる…
境内に入るのはほとんど初めてのことだ…
立派な三門があり、阿吽の仁王像がある。
隣接の幼稚園から元気な歌声が聞こえてくる…
三門の下でママチャリのママ二人が盛んにおしゃべりをしている…
本堂の周りは庭が整備され、墓地には石仏も数多く見られた…
なかなか味わい深いものもあり、しばらくスケッチブックを拡げる…
小一時間滞在して戻ると、あのママチャリ二人組はまだおしゃべりを止める気配はなかった…


与野方面へ歩いて行くと陸橋の左側に庚申塔の祠が目についた…
今までこの場所を車で何回通ったことだろう…
でも、気にとめることはなかった…
近寄ってみるとこれまでのものと比べても庚申塔の特徴がよくでているのだった…

 ぼくにはこのあたりを通るたびにどうしても思い出す因縁があるのだが、
それは<続きを読む>に…


 与野駅前の交差点はここ数年で大きく変わってしまった…
樹齢300年を超え、地元で<大原の大ケヤキ>と呼ばれて
親しまれていた古木が伐採されたのだ…
どんなに親しまれていたかはその木を中山道と直交する
通称西高通りの車線中央にデーンと鎮座させたままだったことからもわかる…
しかし寿命なのか弱り、倒木の危険もあるということで2010年5月に伐採された…
このことは知ってはいたものの改めて交差点に立って景色の違いに
感慨深いものがあった…
後に伐採数日前に撮影した写真をあるブログで見つけ、
その写真から絵を描いてみた…
これまでのスケッチと違い背景のみ描いた…

ooharaookeyaki051_convert_20120910144345.jpg 

ヘタな絵ではその存在感を表現できないのが残念だ…
正面奥が与野駅 右側で窮屈そうに右折する車を見てほしい
こんな邪魔くさいものを最近まで残した人々の気持ちをつい考えてしまう
ちなみにこの木は浦和宿と大宮宿の一里塚の中間にあたる半里塚だったのだそうだ

さいたま新都心が近くなるとがぜんケヤキ並木が目立つようになる…
しばらくいくと幅広い歩道の真ん中に火の玉不動・お女郎地蔵の祠がたっていた…
祠自体は新しいものだが新都心の再開発にもかかわらず
歩道の真ん中にデーンと残す精神はあの観音像にも通じるものなのか…

 さいたま新都心駅を過ぎると右手には氷川参道一の鳥居…
その先に鎮座する氷川神社はぼくの旅には大物すぎるので
別の機会に訪れることにする


氷川参道を過ぎれば旧大宮宿の始まりだ… ⇒№13へ続く

 

          <幻の土地>
 今から50年以上前、親父が神田で会社をやっていた時のこと
知人のMさんから土地購入の話があった…
場所は縁もゆかりもない与野だというので気は進まなかったが
困っているようで、結局購入した…
ところしばらくしてどうしたことかMさんから買い戻しの話があり、
親父は快く購入した金額で応じたのだという…

 ぼくはこの話を就職が決まった時にきいた…親父は「こんなことになるなら
土地をもっていたらよかったなぁ…」などといった
現実には会社が倒産した時には手放す運命だったのだから
もともと詮無い話ではある…

 この話には続きがあって、場所は与野…というのでぼくはてっきり
与野市街にあったのだと思っていた…しかし、数年後、何かの折、親父が
一度は購入した土地は与野駅の東口から旧中山道を浦和寄りに
少し行ったところだったと判明した…それならそこは上木崎であり
浦和そのものだったのだ
神田と上木崎…旧中山道つながりになる因縁話である
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No title

北浦和駅の観音様の新聞記事は私も読みましたが、
そのまま忘れていました。そのままになっているという
ことは、申し出る人がまだいないのですね。
駅のそばの踏切もかすかな記憶があります。
地下通路になって、自転車で越えるたびに、めんどくさ
いなあと思ったものです。

北浦和と常盤6丁目の行き帰り、この辺はいやというほ
ど通っているのに、心も目も下を向いていて何にも気づ
けなかった。
あのころは、重い日常が永遠に続くようにも思えたけれど、
時はちゃんとうつろうもの。ありがたいです。
この辺りを歩くと、今でも必ずあの気持ちがよみがえり
切ない気持ちになります。

おらあ三太だ さま

 旅を始めた時のテーマ<変わるもの変わらないもの>
でいえば観音像の50年の歴史は新しいものです
しかし、近くで見つめるとなぜか長い時代を感じて
しまいました…
 ぼく自身は観音、地蔵を信仰の対象にしませんが
そこに思いを託す人々の気持ちを考えるようになりました

 ぼくも旧中山道は長い間自転車や徒歩で通ったのに
そこに見える光景は別物なのでした…

 おらあ三太さんがこれから見る景色が楽しいものに
なることを願っています…

No title

古い街並みや風景を残しておくと、文化的、歴史的な奥行きが出るので、子供の情操教育上も非常に意味があると思います。府中にある大国魂神社の前の欅の巨木などは、維持されていて嬉しく思います。排気ガスに晒されますから傷みも激しいですが。

アヨアン・イゴカー さま

> 樹齢300年といわれる大ケヤキをなんとか残す道はないか…
愛着のある地元住民も管理する市も模索したらしいのですが、
やはり倒木の心配が優先されたようです
交通量の多いところですから、排気ガスが寿命を縮めたかもしれません

 こちらが存在に気づくまでは ただそこにありつづける…
世の中すべてがそうなのかとも思います
主体は自分という意味で…
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プロフィール

楽葉サンタ

Author:楽葉サンタ
元児童劇団員、元図書館員…
リタイアした現在は幼児でも遊べる人形劇を楽しく研究中…
妻一人、子ども三人、孫四人

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